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株式会社西原商事は地域社会との融和を図るための廃棄物対策を提案いたします
ゴミの歴史

江戸時代の廃棄物収集運搬業
 
1.
紙くず拾い ………………
古紙問屋へ
2.
古着屋 ……………………
リフォーム、店舗・行商
3.
傘の古骨買い屋 …………
再生するために壊れた傘の骨を買う
4.
湯屋の木拾 ………………
燃料集め
5.
古樽買い屋 ………………
空き樽を集めて問屋に卸す
6.
古ほうき買い ……………
古棕欄を下取りし「たわし」などを作る
7.
ろうそくの流れ買い屋 …
ロウ涙を集めて再生品を作る
8.
取っけえべえ屋 …………
子供相手に飴などと古釘などを交換する
9.
灰買い屋 …………………
肥料や釉薬など灰の用途は多様
10.
ごみ取り屋 ………………
肥料にするため生ごみを買い取る
11.
肥汲屋 ……………………
人や家畜の糞尿などを買い取って肥料にする
12.
献残屋 ……………………
余った贈り物などを買い取って売る
●瀬戸物焼き接屋
瀬戸物が割れて
も修理に出した。
白玉粉で接ぎ焼き
をしていた。
●湯屋の木拾
廃材を集め民家
や風呂屋に
売っていた。
瀬戸物焼き接屋
湯屋の木拾
●古着屋
古着を買って
リフォーム
するのが常識
であった。
古着屋
●小便買い屋
貴重な肥料と
して有価で
買われていた。
小便買い屋
●古傘買い屋
和紙と丈の骨組みで
できていた和紙傘の
部分を貼り直すなど
して再生販売
していた。
古傘買い屋
 

江戸時代
近世の江戸は、生活から発生するあらゆる廃棄物を再
利用していたが、生ゴミのようなものは近くの空き地
や川に捨てていたと思われる。江戸は水路で結ばれて
おり、ゴミの投棄が水上交通の妨げになった為、永代
島などに埋立地を設けそこにゴミを埋め立てていた。
江戸のごみ運搬船
川のごみを除去する人
江戸のごみ運搬船と
川のごみを除去する人
大正時代のゴミ回収車
大正時代のゴミ回収車
大型大八車を馬に牽かせた
昭和30年代 生ごみの分別
昭和30年代 生ごみは、家畜農家が豚のえさとして
買っていたため、分別するのが当たり前であった
明治時代
汚物除去法(ゴミはなるべく焼却するように 他)が
制定されたが、当時は埋め立てが一般的な処理方法で
あった事や焼却炉そのものが存在していなかったと言
ってよい。焼却場の設置場所の選定には住民の反対運
動から困難を極め、明治時代から迷惑施設であった。
戦 後
戦後のごみ処理は占領軍の要請で再開された。最初、
の仕事は戦災のごみ処理。ごみで爆撃跡を埋めたり、
陸上の適当な場所を埋めた。
昭和29年
これまでゴミ処理は自治体の責任によって行われてき
たが増大多様化する廃棄物に対応しきれず、国に対し
廃棄物処理の関与を求めた結果『清掃法』が制定され
た。 この法律は汚物を衛生的に処理し、生活環境を
清潔にして公衆衛生の向上を図ることを目的とする。
昭和40年
 日本の高度成長と供に公害が激化、工場から排出
される、様々な有害物質による環境汚染が深刻化し
た為、これらのゴミ処理に対する規制が急務となる
と同時に、高度な処理技術が求められる様になった。
平 成
 2000年には「循環型社会形成推進基本法」が制定さ
れ、これをもとに「リサイクル法」や「グリーン購入
法」などが制定され「清掃法」も「廃棄物清掃法」に
改訂され排出者の責任が強化された。
 
竹製の容器(じょれん)
竹製の容器(じょれん)でゴミをすくい、
竹かごに入れ車に積込みます。
当時のゴミ回収は重労働
当時のごみ回収は大変な重労働でした
トラックへ積込み
ゴミはすべて「バラバラ」「袋に入って
いない」状態。手作業で竹かごに移し
トラックへ積込みます
ゴミ料金の支払い
地域により店舗などは回収の
都度ゴミ処理料金を支払って
いました。
ゴミの埋め立て
住民の猛反発
当初、ゴミは埋め立てるのが主流であった。しかし、昭和50年代
に入ると用地の確保や環境問題が深刻化し、これまでの埋め立て
処分を見直し焼却施設を普及させようとするも、地元住民から猛
反発をうける。
昭和初期のゴミ箱
昔懐かし昭和初期のゴミ箱
15年前に使用していたゴミ収集車
15年前に使用していた
ゴミ収集車
現在のゴミ収集車
近代化された焼却場
近代化された焼却場

ゴミの焼却熱を利用し発電を
行うようになった。
現在のゴミ箱
分別BOX
生ごみのコンポスト器
リサイクル

 資源リサイクルとゴミの
抑制を目的に廃棄物を分別
する事が日常態化した今日、
ゴミ箱も近代化され、分別
ごみボックスや生ごみのコ
ンポスト器が定着してきた。